15~16/10/2007 優先順位

 昨夜は午前3時半まで自宅で仕事をし、3時間の睡眠の後に結局出勤したオラン。同僚N氏に何度も謝りながら、只管労働。
 休憩がてら給湯エリアで紅茶を飲んでいると、Senor I氏登場。「元気???」「元気ないです。仕事に追われてシャカリキに見えるだけです。」「十分元気そうだけれど、忙しいの???」「自宅に仕事を持ち帰るくらいにー。」「僕も以前は自宅に仕事を持ち帰っていたけれど、家では仕事とは別の勉強をしなくちゃ。」「そうですよね。仕事と私生活の線引きが曖昧になって、家が荒れてきました。」「忙しいは、チャンスなんだよ。」「???」「本当に忙しいと、どれが重要でどれを捨てるかを判断するようになる。判断できるようになる。忙しいのを余りマイナスに考えないようが良いよ。」「ありがとうございますッ!!!」
 I氏の言葉を励みに、残業6時間を経てようやく帰宅。夕食(セブンイレブンで買った納豆巻き×2+農協健康菜園ベジタブルミックス+コヒ2杯)を取り、これから自宅で仕事メイル再開。
 とーこーろーでー、農協健康菜園がメグミルク製品であることを今知った。メグミルク不買運動を続けている身として、冷蔵庫にある在庫がなくなったらもう買わない。

14/10/2007 仕事が終わらん

 日曜日だというのに、昼前から自宅PCに向かって仕事しているものの、一向に終わる気配が無い。今晩徹夜して頑張れば終わるんかーなー???
 オランの心的状況に危機感を抱いたJから、来月陸上に戻ったら会おうとの誘い。電話やPC越しではなく直接に言葉を交わし、一緒に食事をし、同じベッドで寝て、眠っている間も目覚める瞬間も相手の存在を感じられるなら、例え1日、2日だけであっても会いたい。離れ離れの生活は今年で8年目、最後に会ったのは2年以上前。神様からの恵みと確信できる人じゃなかったら、根性無しのオランには到底無理な婚約生活。
 今晩徹夜しても終わりそうに無いなら、明日は親族が危篤状態だと偽って有休消化しよう。

13/10/2007 鬱の数歩前

 今年の1月以来、毎月100時間近い残業をし(早朝出勤分と自宅での労働時間を除く)、常に仕事のことを意識せざるを得ない状況が続き、我が身が鬱の数歩前まで追い詰められたことを感じる。
 来週オランは某業務を完了し、その業績を売りにして転職活動を本格始動するつもりなのだがー。某業務の完了を証明するための数100頁からなる書類作成を、実はまだ開始すらしていない。今週末に絶対に仕上げなければならないのだが、全くやる気がしないまま土曜日が終わる。
 我が男Jに、このままでは鬱になりそう、と打ち明ける。経済的に何ら心配がないならば、仕事中心の生活ではなく、家族を持ち子供を育て、農作物を育てる自給自足の生活が営みたい。

12/10/2007 何たる生活

 木曜日の残業明け、相鉄線の最終電車に間に合わず、泣く泣く自腹タクシーで帰宅。自宅のPCで仕事場メイルを確認し、Newsweekの購読継続手続きをし、2時過ぎに就寝。
 4時間後に起床して、シャワして、Natural Lawsonで朝食を購入してから出社。精神的に限界だと感じ、急用のためと偽って午後半休を申告。しーかーしー、新入りのAdminに仕事を教えている最中に昼休みとなったため、午後に続きをし、その後別の仕事も降ってきたため、結局定時まで勤務。
 数ヵ月ぶりに18時前に退社して、イグナチオ教会でミサに預かり、神に助けを求めてから横浜に戻る。仕事用携帯電話が鳴ったので駅で対応し、夕食を作る余力もないのでQueen's Isetanでお弁当+ワインを購入して帰宅。
 野郎ダチYからの電話に出る気分がせず、その後ワインで気分を変えてから折り返し電話をしたところ、電話中のため一向に繋がらない。我が男Jの声が聞きたくて電話するも、こちらも繋がらない。いい加減酔っ払って、そのまま就寝。

7/10/2007 セパ飯VTR発進

 今朝も野郎ダチYからの電話で目覚める。新居襲撃は今夕なのだから、朝は寝かせてくれい。その後、昨日娘っちの結婚式に出席したCYB350I長老からの電話。夏季休暇時にVaticanで投函した葉書が、ようやく届いたとのこと。
 午後になってから、久々にセパ飯VTRに乗って遠出。天気が良かったので下道で都内に出て、京葉道路を走ってYの新居を襲撃。しーかーしー、緊急事態が発生したとのメイルを受信したまま連絡が取れなくなってしまい、仕方なく帰宅することに。帰路はアクアラインを利用したのだが、通行料金にどえりゃあ驚いた。時間節約と安全と安心のためとは言え、30kmで2400円は高いッ!!!
 夜になってから、Yから電話。私生活上の緊急事態に巻き込まれたというYを励ましたもののー。既に昨夜の赤ワインの残りを飲んでいたオラン、仲間として効果的で価値ある発言をすることができたか自信がない。

6/10/2007 睡眠日

 昨夜は残業明けに赤ワインを購入してから帰宅し、寝酒に飲んで熟睡。ベッドに入る前、酔って我が男Jにセミ・ヌード写メイルを送り、感激メイルを受信していたのだが、記憶にない。
 朝9時半、野郎ダチYからの電話で目覚めたものの、朝食を取り洗濯物を済ませてから再び寝る。夕方になってからようやく本格始動。部屋の大掃除をし、食料品の買出しをし、Yの新居襲撃計画を立て、夕食を取りながら赤ワインを寝酒に飲んで熟睡。

4/10/2007 電話会議

 米国との電話会議のため早朝出勤し、定時後は英国との電話会議。疲労困憊+睡眠不足の状態が長らく続くと、ヒトは頭の回転が明らかに鈍り、記憶力も衰えるし、自信も無くなってくる。時々オノレの発言内容の正確度について不安になる。

3/10/2007 面談

 鬼的残業が続いたため、医者と面談+検査。「鬱病だと感じることはないですか???」「今のところ無いです」「睡眠時間は」「1日平均3~4時間くらいです(昨夜は1時間半です)」「足りないですよね、休日も働いているんでしょう???」「寝られる時に6時間程度集中して寝ています」「それは普通です、残業が減る見込みだと言いましたよね???」「会社での残業を規制された分、仕事を自宅に持ち帰ってせざるを得ないから、残業時間も睡眠時間も少ないのです」「以前より悪い傾向ですね、就業制限ありって書きましょうか???」「それは待っていただけませんか???」
 次の仕事を確保するまでは、待って欲しい。しーかーしー、ボロボロ+ヨレヨレだと、転職エージェントとの遣り取りや必要書類の準備にも苦労する。これこそ仕事場による転職防止作戦かッ!?

1/10/2007 勤務時間と仕事量

 仕事場で22時以降の残業が原則禁止となったため、22時に退社して自宅で仕事を再開。表向きの勤務時間が減っても、仕事量が変わらない以上、こうするしかない。

29~30/9/2007 徹夜仕事

 土曜日なのに、自主出勤。徹夜で仕事をしながら日曜日の朝を迎え、10時過ぎに退社して帰宅しようとしたらS兄から米国出張準備の件で電話。仕事場からの最寄り駅で1時間電話で話し、夏季休暇を取ったばかりだというのにボロボロ+ヨレヨレ状態で帰宅。うへー。

28/9/2007 帰国早々

 成田空港に到着してから仕事用携帯電話の電源を入れ、メイルを確認。早速勤務中の同僚数名に電話を掛ける。帰宅してからは、自宅PCから仕事メイルを確認しながら、同僚と電話。帰国早々、うへー。

27/9/2007 ローマ最終日

 早起きして朝食と絶品コヒと身支度を済ませ、毎日温かく出迎えてくれたシスターに感謝+別れの言葉をイタリア語で言い、Basilica Santa Maria Maggiore(サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂)でミサに預かってから空港へ行く。
 飛行機に乗って香港へ。もう2度と中国系の飛行機になんて乗るもんか、と固く決意したくらい、中国人のマナーの悪さに不快感を覚える。
 
 
 
 
 

26/9/2007 ローマ6日目

 Basilica di San Paulo fuori le mura(サン・パウロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂)でミサに預かってから、Basilica di Santa Maria del Popolo(サンタ・マリア・デル・ポポロ聖堂)へ。素晴らしい美術品を保有する聖堂に足を踏み入れる。
 サンタ・マリア・デル・ポポロ聖堂
 サンタ・マリア・デル・ポポロ聖堂内
 サンタ・マリア・デル・ポポロ主祭壇
 サンタ・マリア・デル・ポポロ主祭壇裏
 サンタ・マリア・デル・ポポロ聖堂内
 サンタ・マリア・デル・ポポロ聖堂内
 サンタ・マリア・デル・ポポロ聖堂内
 サンタ・マリア・デル・ポポロ聖堂内
 サンタ・マリア・デル・ポポロ聖堂内
 天井画

 聖堂を出てからは、Villa Borghese(ヴィッラ・ボルゲーゼ)というローマ市内の緑地地帯へ。
 
 Galleria Borghese(ボルゲーゼ美術館)
 Tempio di Esculapio(エスクラピオ神殿)
 Galleria Nazionale d'Arte Moderna(国立近代美術館)

 その後ヴァチカンに行き、夕方になるまでサン・ピエトロ広場で読書に励み、それからBasilica di San Pietro(サン・ピエトロ大聖堂)でミサに預かってから帰宅。
 この宿に泊まるのも今晩が最後である。
 Via dell'Olmata(ヴィア・デロルマタ)
 Via dell'Olmata(ヴィア・デロルマタ)
 修道院入口

25/9/2007 ローマ5日目

 ローマ市内を自由に歩きまわれるのも、今日+明日一杯。
 という訳で、ローマ滞在1日目に訪れたBasilica Santa Maria Maggiore(サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂)へ行き、内部をゆっくりと鑑賞する。この教会はその名の通り、聖母マリアに捧げられた世界最大の聖堂であり、ローマ市内にありながらヴァチカン管轄となっている。手元にある「教会の聖人たち 改訂増補版 下巻(池田敏雄著)」によると、聖リベリオ教皇(353~366)の時代に、ヨハネという一貴族が財産を聖母マリアに奉献する決心をし、その最善の使い道について祈ったところ、聖母マリアのために聖堂を建てること+位置を雪で示しておくことについてお告げがあったという。サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂は、そのお告げに基づいて建てられ、その後、生誕間もないイエズスが寝かされた馬ぶねが移されたそうだ。
 サンタ・マリア・マッジョーレ聖堂内
 主祭壇(上部)と馬ぶねが納められた箱(地下部分)
 主祭壇に飾られた絵
 天井画

 それからこれまたローマ滞在1日目に訪れたBasilica San Giovanni in Laterano(サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ大聖堂)の方へ行く。聖堂の離れにあるBattistero lateranense(ラテラノ洗礼堂)を見学し、一旦外に出て猫と遊んでからから聖堂内へ入り、ミサに預かる。サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ大聖堂はヴァチカンの教皇用宮殿ができるまで、カトリックの総本山であったらしい。また、ヴァチカンがムッソリーニ政権下のイタリア政府から政治的に独立した区域となることが認められた、ラテラノ条約の調印が行われた場所であるそうな。
 ラテラノ洗礼堂
 ラテラノ洗礼堂内
 ラテラノ洗礼台
 天井画
 ラテラノ洗礼堂別室祭壇
 サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ大聖堂裏
 サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ大聖堂内
 サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ大聖堂内

 ローマにもある、紀元前12世紀頃に建てたれたPyramidを見てから、ローマ滞在2日目に訪れたBasilica di San Paulo fuori le mura(サン・パウロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂)へ。オランはこの大聖堂内部の造りと装飾が好きである。
 ピラミッド
 聖パウロ大聖堂内
 聖パウロ大聖堂内
 聖パウロの棺

 聖堂を出て、Basilica di San Pietro(サン・ピエトロ大聖堂)に向かう。途中、Borgo Pio という名の賑やかな通りを歩いていると、周囲のシスターたちが次々に入る店を発見。1つはComandini S.というキリスト教関連グッズの専門店で、もう1つはCentro Russia Ecumenicaというイコン屋。双方の店も、非常に良心的な商品価格であり、オランも土産用にキリスト教グッズ数点と自室に飾るイコンを1枚購入。2店分を合わせて10ユーロ強。その後ミサに預かってから帰宅。

24/9/2007 ローマ4日目

 毎朝とても幸せそうな表情でコヒを飲んでいたためか、朝食時に支給されるコヒの量が増え、4杯分になった。まず目覚めの一杯を飲み、パンを食べながら2杯のみ、食後に1杯飲む。幸せなり♪
 今朝はまず歩いてBasilica di San Clemente(サン・クレメンテ聖堂)へ行く。ミサの席は聖堂の方ではなく出席者同士が向かい合う形で配置されており、またミサ中はその席の入り口にある鉄の門を閉ざしていた。
 聖堂見学を終えてからは、そのまま徒歩でColosseo(コロッセオ)、Arco di Costantino(コンスタンティヌス帝の凱旋門)を経てForo Romano(フォロ・ロマーノ遺跡群)へ。この辺りは紀元前5世紀に神殿建築が始まり、紀元9世紀には廃墟となったらしいが、そのことを考えると如何に文明が発達していたかが伺える。
 その後、Michaelangelo Buonarroti(ミケランジェロ・ブオナローティ)が設計したPiazza del Campidoglio(カンピドーリョ広場)、Foro di Traiano(トライアヌス帝の広場跡)、Vittoriano(ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂)、Fontana di Trevi(トレヴィの泉)、Piazza di Spagna(スペイン広場)と渡り歩き、Basilica di San Pietro(サン・ピエトロ大聖堂)でミサに預かってから帰宅。
 サン・クレメンテ聖堂
 サン・クレメンテ聖堂
 サン・クレメンテ聖堂
 コロッセオ
 コンスタンティヌス帝の凱旋門
 マクセンティウス聖堂
 アントニヌス・ピウスとファウスティナ神殿
 カストルとポラックス神殿
 フォロ・ロマーノの景色
 トライアヌス帝の広場跡
 ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂
 トレヴィの泉
 スペイン広場